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100万人に目撃されたUFOの、ロサンゼルスタイムズの正真正銘の写真だ


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100万人に目撃されたUFOの、ロサンゼルスタイムズの正真正銘の写真だ

(図 Battle of Los Angeles LATimes ウィキメディア経由パブリックドメイン)

(Fig.) アーティクル・イメージ

 

「米国とスペイン、そして世界の他の地域で、総てが調査の過程にあります。世界の国々は、現在、UFO現象の調査に協力しています。国際的なデータ交換があります。」- カルロス・カストロ・カベロ(Carlos Castro Cavero)将軍 (1979)   リチャード・ドラン(Richard Dolan)に書かれた「UFOと国家安全保障国家(UFOs and the National Security State)、第2巻」より。

 

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(図 UFO Pixabay)

 

上記の引用は1976年のものですが、数十年前にも適用されます。今日へ早送りしてください。そして私達は、今何千から何千という機密解除された文書を持っています(たとえ何百万が、いまだに米国によって毎年機密にされているとしても)。それは、世界中の政府や軍事機関のUFO現象への高い関心のレベルが、依然としてあることを、証明します。これらの物体はしばしば空中/地上レーダーで、時には同時に追跡され、追跡されるだけでなく、それらをチェックするためにスクランブルをかけているパイロットによって、視覚的に確認されています。これらの物体は、物理法則に反する操作を実行し、そして、それらのうちの少なくともいくつかは、私達の惑星上で知られていない航空機の速度で移動しています。

それらの存在は、現在、主流の中で確認されています。コチラで、あなたは主流のUFOの開示についての最新情報についてもっと読むことができます。

これは、軍がUFOと遭遇したときに何が起こるかの詳細の、機密解除された文書の優れた例です。

「F-4戦闘機が、25海里(約46 km)の範囲に近づくと、それは総ての計器と通信を失いました。F-4戦闘機が、反転し物体から離れ、そして明らかにもはや脅威ではなかったときに、航空機はすべての計器と通信を取り戻しました。もう一つの明るく輝く物体が、元の物体から出てきました。2番目の物体は、F4戦闘機に向かってまっすぐに向かっていました」

これらの文書に敬意を表すために、これらように、私達は世界中の高官からの何百という声明も持っています。

「宇宙から来た人々、他の文明により、私達は長年訪問されてきた、深刻な可能性があります。彼らが誰であるか、彼らが何処から来たのか、そして彼らが欲しいものは、厳密な科学的調査の主題であるべきで、タブロイド紙による「消す」対象ではありません。」元国防長官のヒル=ノートン(Hill-Norton)卿、イギリス海軍5つ星提督、NATO軍事委員会の委員長。

Five Star UK Admiral & Chief of Defense Blows Whistle on UFOs

(2:43) 2014/01/27

 

コチラで、あなたは彼の特定の経験を共有する、空軍パイロットのビデオを見つけるでしょう。

「何十年も前に、他の惑星からの訪問者達は、私達が助けを求めて向いた場所について、私達に警告しました。しかし代わりに、私達かまたは少なくとも私達の一部は、彼らの訪問を脅威と解釈し、そして最初に撃ちその後に質問をすることにしました。」

上記の引用は、元カナダの国防相、ボール・ヘリヤー(Paul Hellyer)氏によるものです。

Paul Hellyer, Alien Contact

(9:23) 2016/08/26

 

1942年に何が起きたのでしょうか

第二次世界大戦中、特に原爆投下後に、UFOの報道は急増しました。世界中で幾つかの異なる軍事用核ミサイル施設でのUFOの侵入を、機密解除された多数の文書が示している時事は、興味深いです。おそらく最もよく知られた例は、1967年のモンタナ州のマルムストルム(Malmstrom) 空軍基地のものです。基地は大陸間弾道ミサイル(ICBM、intercontinental ballistic missiles)の巨大ネットワークを統制しています。そこは、多くの高度な訓練を受けた軍関係者が、門の外に浮かぶ赤く輝くUFOを目撃したところです。その時、バックアップの発電機を含め、総てのICBMがシャットダウンしました。明確にするためですが、これは決して起こりません。会議が、7年前にナショナル・プレス・クラブ(National Press Club)で、この問題を議論するために開催されました。コチラで、あなたはそれを見ることができます。

UFOs Disabling Our Nuclear Weapons Conference Robert Hastings 27th September 2010

(1:27:26) 2014/06/23

 

このウィキリークス(Wikileaks)の外電は、アルジェリアでの事件について議論しています。そこでは、その形が「あいまいにする」飛行「機械」が、軍事施設の近くで発見されました。ここにリストするには、事例が多すぎます。

しかし第二次世界大戦の以前には、UFO問題はまだ主要でした。私達は、古くからUFOの歴史的な記録やアートワークを持っており、それらはよく文書化されています。あなたは、それについてもっと知ることができます。この特定の記事は、1942年にロサンゼルス上空で起きたことに焦点を当てます。

 

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(Fig.1) Searchlights and Anti-aircraft Guns Comb Sky During Alarm

 

上の写真は、1942年2月25日の早朝に、ロサンゼルスの上空でホバリングした物体です。物体の周りの小さな白い点は、高射砲の砲弾の破裂です。この事件は、真珠湾(Pearl Harbour)のわずか3ヶ月後に起こりました。当時、米国には多くの注意が向けられており、そして米国は警戒していました。

これが事実です。

  • いくつかのレーダーが、ロサンゼルスの西約120マイルにある物体を検知しました
  • 数分以内に、対空用の一連の部隊は警戒態勢を取りました
  • 午前2時20分ごろ、物体は海岸から数マイル以内でレーダー追跡され、都市の消灯が命じられました
  • 午前3時過ぎ、物体が都市の真上に現れ、対空用の一連の部隊が発砲しました
  • 海上ではなく直接に都市の真上に、およそ1500発の弾が空に発射されました
  • 3人の市民が砲撃で死亡し、さらに3人が砲撃による心臓発作で死亡しました
  • 大量の物的損害を被りました
  • 写真分析が専門家のブルース・マッカビー(Bruce Maccabee)博士は、物体の直径がおよそ100フィート以上であると考えていました
  • 出来事は、約100万人が目撃しました

 

この物体を見た百万人の1人からの公聴会

以下はその出来事の証人の証言です。彼の名前はスコット・リトルトン(Scott Littleton)、カリフォルニア州ロサンゼルスのオクシデンタル・カレッジ(Occidental College)の、人類学の名誉教授です。

「私達2人は家の前に並んで立って、冷たい夜の空気で一緒に寄り添い、空を見つめていました。私達が音を聞いた飛行機は見えませんでしたが、しかし、私達の猛烈な注目を集めたのは、銀色の菱形の「虫」でした。私の母が後で説明したように、それをピンポイントで照らしたサーチライトのビームで、私達ははっきりと見えました。澄んだ月明かりの夜でしたが、以下の事実にもかかわらず、他の詳細を識別することはできませんでした。最初に見たとき、物体は、ほぼ真上から動かずにぶら下がっていました。特にこれらの年で結局、その高度を推定するのが難しいのですが、それは4,000から8000フィートの間のどこかだったと思います。これは、サンタ・モニカ(Santa Monica)とカルバー・シティ(Culver City)の目撃者による、物体が明らかに遥かに低いところで、オレンジ色の輝きが報告されていない説明です。 (この輝きは単に、物体の「銀色の」本体に対してのシェル・バースト(shell bursts)の反射かもしれないことを、ある証人は提示しています。)」

Scott Littleton Ph.D. (03-16-10) The Battle of Los Angeles

(1:12:10) 2015/02/12

 

この事件の公式な説明は、「何も起こらなかった」から「風船」までの範囲でしたが、しかし、この現象を深く研究した総ての人は皆、それはとても長い間秘密に包まれ、蓋は吹き始めたばかりなことを、知っています。唯一の問題は、総ての証人が、公式の説明とはとても異なる何かを説明していることです。

「舞台裏では、空軍の高官はUFOについて真剣に懸念しています。しかし、公式の秘密と嘲笑を通して、多くの市民は、未知の飛行物体がナンセンスだと信じるように導かれています。」CIAの元首長、ロスコー・ヒレンコエッター(Roscoe Hillenkoetter)、1960年

こんなことが起きたのは、これが初めてではありません。1997年にアリゾナの人々は本当に壮観な何かを目撃しました。UFOの研究者、リチャード・ドラン(Richard Dolan)氏がそれを説明すると:

「フェニックス(Phoenix)の人々は、街の上でホバリングする光の素晴らしい展示のために、治療を受けました。これらの光は静止し、完璧な隊形なように見えました。それらは本当に驚くべき光景でした: 夜空の、巨大な半円形の光のストリング。」

この出来事は、多くのメディアの注目を集めました。

当時のアリゾナ州知事のファイフ・シミントン(Fife Symington)氏は、さらに記者会見を開催しました。そこでは、総てのUFO愛好家を嘲笑する、大きく、衣装を着たエイリアンがフューチャーされました。しかし、それは自然の中では心のこもったもののようで、彼によれば、気分を明るくするために行われました。

しかしながら、注意すべき興味深い点は、ファイフ氏が己の何かを守っていたことです。- 彼は実際にその出来事を目撃しました。そして、元空軍のベテランは出来事の数年後に話をしました (知事としての彼の任期が終わったとき):

「もしも、あなたが10年前にここにいたのならば、ここに目立ち、明かりを見ながら、あなたは、びっくり仰天したことでしょう。あなたは、あっけにとられたことでしょう。国防総省がそうではないと証明できない限り、それはたぶん何らかの形のエイリアンの宇宙船だった、と思います。それは巨大で、ただ異世界的を感じました。あなたは肝心なところで、あなたはそれが異世界的だったと言うことができました。」

 

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コチラで、あなたはそのストーリーについてもっと読むことができます。

 

----- 出典 -----

(掲載終了した元記事のウェブ保存版)

An Authentic Photo From The Los Angeles Times of A UFO Witnessed By 1 Million People | Collective Evolution

(同様な記事)

collective-spark.xyzwww.sgtreport.com

 

----- 2019/05/30公開の記事を読んで -----

12/7,1941の真珠湾攻撃から約2.5か月後の 2/25,1942に、ロスアンゼルスに現れたのは興味深いです。しかも、高射砲を打ち込んでいるとは。日本は潜水艦の航空母艦という最新兵器の伊400型潜水艦で、米国本土への攻撃を画策していたこともあり、こうした警戒が強いのも理解できます。

なお、WWⅡの終了が 9/2,1945で、ロズウェル事件が 7/8,1947です。この時代は、UFOイコール敵の最新兵器かもしれないという軍事的な解釈が強かった時期です。こうした事件は軍事情報として機密扱いされ、情報統制が優先した時代だったでしょう。そんな中で新聞紙面に取り上げられたのは驚きです。

 

もう1つの視点として興味深いのは、現在は国防総省がUAPを認めていますが、それ以前は陰謀論扱いもされたUFOについて、ジャーナリスト達が事実を積み重ねる地道なアプローチをしていることです。そして、ジャーナリスト達の鋭い嗅覚は、現在のパンデミックに向いています。

 

----- パズルのピース -----

zzak.hatenablog.jpzzak.hatenablog.jpzzak.hatenablog.jpzzak.hatenablog.jpzzak.hatenablog.jp