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ジーザスは仏教徒の僧侶でした、論争の的になるドキュメンタリーが主張


宗教関係者・閲覧注意

ジーザスは仏教徒の僧侶でした、論争の的になるドキュメンタリーが主張

(図 Painting Pixabay by Bob Bello)  (Fig.) アーティクル・イメージ

 

思考を刺激するドキュメンタリーは、キリスト教の中心人物となったユダヤ人(Jewish)の説教者で宗教指導者であるジーザス・クライスト(Jesus Christ)が僧侶だったことを提示しています。ドキュメンタリーは、ジーザスは十字架につけられておらず、彼は何十年もの旅を過ごし、カシミール(Kashmir.)のスリナガル(Srinagar)にあるロザバル(Roza Bal)神殿で、最終的に彼の死後に安らかに置かれたことを示しています。

主に13 - 29歳のジーザスの人生の間隙に基づいた研究で、ジーザスの所在をバイブル的に記録していない理由は、彼が仏教に大きく影響されたことによります。

BBC(英国放送協会)が放送したドキュメンタリーは、ジーザス・クライストが十字架につけられておらず、彼が仏教の僧侶であったことを示しています。

好奇心をそそるドキュメンタリーは、多くの人が答えることを拒否する数え切れないほどの質問をしています。

ドキュメンタリーで指摘されているように、キリスト教の特徴的な物語は、歴史の中で最も有名なだけでなく歴史の中で最も有名な出来事の十字架刑です。

一部かまたは多くの真の信者にとって、ジーザスが十字架に磔つけられ、死に、再び起き上がり、天に昇ったという事実は、決定的な真実と考えることができます。しかしながら、歴史を通してずっと、多くの人がこれらの出来事に疑問を呈しています。人物 -  ジーザス - は十字架の上でわずか6時間後に死ぬでしょうか。彼は薬を飲んだのでしょうか。岩に掘られた墓(Sepulcher)で本当は何が起こったのでしょうか。そしてジーザスが天に昇られなかったのならば、キリスト教の中心人物はどこに行ったのでしょうか。

多くの著者は、これらの質問はキリスト教の背後にある考え全体を損なう危険がありますが、極めて議論の余地があるとしています。

総てのキリスト教徒が忠実に信じるジーザス・クライストの背後にある物語の最も重要な部分は、ジーザス・クライストが死から復活したという「アイデア」、復活はキリスト教の心の主要な物語です。

 

長い話を要約すると、ドキュメンタリーはジーザスの生涯に疑問を抱き、多くの論争の的になる質問をしています。ジーザスは破門され、彼はヒマラヤ(Himalayas)へ逃げたのでしょうか。

ドキュメンタリーによれば、ジーザスは、ジャガナト(Jagannath)、ラジャグリハ(Rajagriha)、ベナレス(Benares)のような様々な遠く離れた聖なる都市で何年も教え過ごしました。そして彼は最終的にヒマラヤへ逃げ、そこで仏教の研究を続けました。

ホルガー・ケルステン(Holger Kersten)氏という名前のドイツの学者を含む多くの著者達は、ジーザスと彼の人生について書いており、彼はアーリア人(Aryans)の中でシンド(Sindh)に住んでいたことを示唆しました。

BBCが放映したドキュメンタリーは、ジーザスは逃げ出し、一部のユダヤ人の入植者とともにアフガニスタン(Afghanistan)へ逃亡し死を免れたことを提示しています。

地元の話は、次のことを示唆する説を確認しているようです。ジーザスはカシミール(Kashmir)渓谷で何年も過ごし、80歳で亡くなるまでそこにとどまりました。

 

(Fig.1) ジーザスの道のり地図

 

ジーザスの失われた年月

ジーザスの失われた年月(または暗黒年月)は、ニュー・テスタメント[新約聖書]によれば、ジーザスの幼少期と彼の使命の始まりとの間の文書化されていない期間を指します。

福音書は、ジーザスの誕生とその後のヘロデ(Herod)の怒りを免れるためのエジプトへの旅に関係しています(マタイ(Matthew) 2:13-23)。

ナザレ(Nazareth)に住むマリア(Mary)と若いジーザスへの一般的な言及があります(2:23マタイ、ルカ(Luke) 2:39-40)。

ジーザスが12歳のときにヨセフ(Joseph)、マリア、ジーザスが過ぎ越し祭を祝うためにエルサレム(Jerusalem)の町を訪問した独立した説明があります (ルカ2:41-50)。

しかしながら、この後、ジーザスの生涯で(12歳から30歳迄の)18年の歴史にはギャップがあります。

ジーザスの聡明さ、偉業、そして神と人のために前進していた一般的な言い回しとは別に(ルカ2:52)、バイブルはこの期間中のジーザスの生活については何も言いません。

キリスト教徒の共通の前提は、ジーザスは単にその期間はナザレに住んでいました、ということです。

 

興味深いことに、グルーバー(Gruber)氏とケルステン氏(1995年)の著者達は、仏教はジーザスの生活や教えに重大な影響を与えましたと、ともに主張します。著者達は、ジーザスは「セラピスト」の教えと実践に影響を受けたと主張し、彼は、ユダヤ(Judea)に設立されたテラバダ(Theravada)仏教学校の教師として著者達によって記述されています。

グルーバー氏とケルステン氏は、ジーザスは理想の仏教徒の生活を送り、弟子達に仏教を教えたと断言します。彼らの仕事は、オックスフォード・ニュー・テスタメント[オックスフォード新約聖書]の学者バーネット・ヒルマン・ストリートナー(Barnett Hillman Streeter)氏の足跡に従います。彼は、1930年代にブッダの道徳的な教えは、山の上での説教に4つの著しい類似点があることを確立しました。山の上の説教は、道徳的な指導を強調しているジーザスにクレジットされている言葉と教えの収集で、マタイの福音書(5、6、7章)に掲載されています。

説教は、ニュー・テスタメントに見られるジーザスの話す最長連続セクションで、正典の福音書の中で最も広く引用されている要素の1つです。

多くの学者達は、次のように考えています。ジーザスは仏教の宗教に触発されているかもしれず、トーマスの福音書(the Gospel of Thomas)とエジプトのナグハムマディ(Nag Hammadi)で見つかった多くの原文は、この可能性を反映しています。

不可知論者とそれを超えた信念(The Agnostic and Beyond Beliefs)のような本: イレーヌ・パゲルス(Elaine Pagels)氏によるトーマスの秘密の福音書(The Secret Gospel of Thomas)と、グルーバー氏とケルステン氏によるオリジナル・ジーザス(The Original Jesus)は、これらの説論について論じています。

興味深いことに、1887年にロシアの作家、ニコラス・ノノヴィッチ(Nicholas Notovitch)氏がインドとチベットを訪問しました。

彼は、ヘミスラダク (Hemis Ladakh) の修道院で、彼は 「聖イッサの生涯、男の最高の息子(Life of Saint Issa, the Best of the Sons of Men)」の原稿を聞いたと述べました。

イッサは、ジーザスのアラビア語の名前です。

その歴史は、「聖イッサの生涯(Life of Saint Issa)」から翻訳されたテキストとともに、1894年にフランス語で「ジーザス・クライストの不明な人生(The Unknown Life of Jesus Christ)」として出版され、その後英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語に翻訳されました。

 

ドキュメンタリーをチェックし、あなたの考えを伝えてください。

 

Jesus was a Buddhist Monk BBC Documentary

(49:21) 2011/10/07 ・・・ 視聴不可となった貼られたビデオと同内容のもの

 

DOCUMENTARY THAT CLAIMS THAT JESUS WAS A BUDDHIST MONK

(49:11) January 3rd, 2022 ・・・ バックアップとして、bitchuteにあげられたもの

 

 

----- 出典 -----

(掲載終了した元記事のウェブ保存版)

Jesus was a buddhist monk claims controversial documentary | Ancient-Code

(同様な記事)

humansbefree.com(関連記事)

curiousmindmagazine.comwww.bbc.co.uk

 

----- 2017/11/16公開の記事を読んで -----

約2年前にピックアップしたトピックです。掲載終了しましたのでアーカイブしておきます。

他誌から更新されたものが出されたのかと期待しましたが、ほぼコピーで新たな事実は出てきていないようです。このトピックのその後の展開に興味があったのですが、デッチアゲとして烙印を押されたか、真実として圧力がかかって封印されたのか... どうなってしまったのでしょうか。

トピックとしては消えかかっているような印象です。

 

----- パズルのピース -----

zzak.hatenablog.jpzzak.hatenablog.jpzzak.hatenablog.jp