法光の大太刀:この巨大な15世紀の日本刀を誰が使ったのでしょうか
法光の大太刀:この巨大な15世紀の日本刀を誰が使ったのでしょうか
(Fig. Odachi-Masayoshi-at-Yahiko-Shrine ウィキメディア経由CC4.0 クレジットArtanisen)
法光(Norimitsu)の大太刀(Odachi)は日本の巨大な剣です。 実は、それはとても大きいので、巨人が振り回したと言われていました。 15世紀に鍛造され、長さが3.77メートル(12.37フィート)、重さが14.5 kg(31.97ポンド)の、基本的な知識は別として、この印象的な剣は謎に包まれています。
Was this Massive Sword from the 15th Century used by a Giant Samurai?
(1:02) 2016/10/01 ・・・ 挿絵代用の追加ビデオ
大太刀の歴史
日本人は、彼らの刀作り技術で有名です。 多くの種類の刃が日本の刀工(swordsmiths)によって生産されてきましたが、しかし、十分に検証できることだが、今日たいてい人々が精通しているのは、名高い武士との関係による刀です。日本で何世紀にもわたって生産された他の種類のあまり知られていない剣もあり、その1つが大太刀です。
大太刀(漢字で大太刀と書かれ、‘large / great sword’ と訳されています)は、野太刀(nodachi)と呼ばれることもあり(漢字で野太刀と呼ばれ、‘field sword’ と訳されます) 、長刃の日本刀の一種です。 大太刀の刃は湾曲しており、通常、長さは約90〜100cm(35.43-39.37インチ)です。 一部の大太刀は、2メートル(6.56フィート)長の刃を持っていたとさえ記録されています。
(Fig.1 Nodachi ウィキメディア経由パブリックドメイン)
大太刀は、14世紀の大部分の間続いた南北朝時代(Nanboku-chō period)に、戦場で選ばれた武器のひとつと考えられています。 この時代の間に、生産された大太刀は1メートルを超えていたと記録されています。 しかしながら、この武器は短い期間の後に支持を失いました。その主な理由はこうです、大太刀は戦闘で使用するのにあまり実用的な武器ではありませんでした。 それでも、大太刀は戦士達により使い続けられ、そして、その使用は、その間に徳川幕府(Tokugawa Shogunate)が豊臣家(Toyotomi clan)を滅ぼした大阪夏の陣(大坂の陣としても知られています)に続いて、1615年に消滅するだけでした。
(Fig.2) この野太刀の長さ1.5メートル(5フィート)以上の長い刀は、法光の大太刀に比べてまだ小さいです。
大太刀が、戦場で使われたかもしない方法がいくつかあります。 これらの中で最も平易なのは、大太刀は単純に歩兵達(foot soldiers)により使用されました。 これは、平家物語(‘The Tale of the Heike’ と訳されています)と太平記(‘Chronicle of Great Peace’ と訳されています)などの文学作品に見られます。 大太刀を振り回す歩兵達は、その並外れた長さのために、彼の横側ではなく、彼の背中を横切って剣を背負っていたかもしれません。 しかしながら、これは戦士が刃を素早く抜くことを不可能にしました。
(Fig.3 Samurai wearing a nodachi (field sword) ウィキメディア経由パブリックドメイン) 大太刀を背負った武士の江戸時代の木版画
代わりに、大太刀はたぶん手で運ばれたのかもしれません。 室町時代(西暦14世紀から16世紀まで続いた)の間、大太刀を持った武士には、彼のために武器を抜くのを手伝ってくれる家来がいるのが一般的でした。 これが可能です、大太刀は、馬に乗って戦った戦士達によっても振り回されていました。
また次の提示がされています。大太刀は扱いにくい武器でしたので、実際には戦闘用の武器としては利用されていませんでした。 代わりに、戦闘中に旗が使用されたのと同じように、それは軍隊の一種の軍旗として使うことができました。 さらに、こう指摘されています、大太刀はより儀式的な役割を果たしました。 例えば江戸時代(Edo period)には、大太刀が式典で使われることが人気でした。 それとは別に、大太刀は神々への捧げ物として、神社(Shinto shrines)にときどき置かれました。 大太刀はまた、製造するのに簡単な刃ではありませんでしたから、刀工の技の披露としても役立ったのかもしれません。
(Fig.4 Hiyoshimaru meets Koroku on Yahagibashi, showing nodachi or odachi ウィキメディア経由パブリックドメイン) やはぎ橋で蜂須賀正勝と出会う、日本の木版画。 大太刀が背中にぶら下がっている
法光の大太刀は実用的でしたか、それとも観賞用でしたか
法光の大太刀に関しては、次の見方を好む一部の人達もいます。大太刀は実用的な目的で使われており、それ故に、大太刀の使用者は巨人だったに違いありません。 この並外れた剣のより単純な説明はこうです、それは非戦闘目的で使用されました。
そのような、並外れて長い刃の製造は、熟練した刀工の手によってのみ可能でした。 それ故に、次のことはもっともらしいです。法光の大太刀は、純粋に刀工の能力を披露するためのものでした。 加えて、法光の大太刀を依頼した人は、そのようなものを作るために、かなりの費用がかかるので、おそらくとても裕福だったでしょう。
(Fig.5) 法光の大太刀
----- 出典 -----
www.ancient-origins.netblade-city.comarewealiens.commckenziearant.blogspot.com
----- 参考 佐々木小次郎 三尺程度の長刀 -----
(図 Sasaki-Ganryu-(Kojiro)-by-Utagawa-Kuniyoshi-1845 ウィキメディア経由パブリックドメイン)
----- 2019/03/18公開の記事を読んで -----
日本の刀についての逆輸入の記事です。余りに長い刀は、巨人のウェポンだったのではないか、という疑惑としてクローズ・アップされました。
日本の侍の体格は、現代人よりも小柄で身長150~160 cm くらいでした。そんな体格では、振り回せるとは思えない、オーバー・スペックな刀が実在しています。
- 腕が特別に長くなければ、1人では長刀を、鞘から抜くこともままなりません。約3尺(約114cm)の佐々木小次郎の長刀あたりが、実用限界なのでしょう。
こうした長刀は、騎馬戦で、相手の馬を狙う目的だったような、おぼろげな記憶があります。記憶違いでしたらご容赦ください。
- なお、戦国時代の在来馬は、現代のサラブレッドと比べて小柄です。ポニーくらいだったのかも知れません。
----- パズルのピース -----
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